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戦後65年目、とうとう日本は赤化してしまうのか? いや、断じて赤化させてはいけない。戦前日本は赤に対しての防波堤であったがアメリカの帝国主義の前にその防波堤は崩された。
 
 
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Author:藤田東湖
祖先の功績を称えるべき、そして祖先が我々に託した日本を共産主義から守らなければいけない。

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アジアに共産主義の侵略を後押ししたアメリカ 責任を取れ!その参 

前回の記事の延長です。

前回の中華民国との清国との間で結ばれた「退位協定」を一方的に破棄したのは「退位協定」の仲介役をしていた
清国の軍人「袁世凱」という人物でした。孫文は争い事なく条約を結ぶため「袁世凱」に対し調印の暁には大統領と
言う立場を約束してた事から「袁世凱」は大統領になり、孫文に対し兵を挙げ結果孫文は日本に亡命してしまいました。
ここで新たな「中華帝国」という新たな国が誕生したのでが、袁世凱の支配は短くわずか1年足らずで死去しました。
統率のなくなった軍人が満州で清国の歴代の墓荒らしに留まらず、満州の民に対する残虐極まる行動に対し駐屯していた日本の軍隊がそれを制圧するに至ったわけです。いわば満州人民解放軍の役割を果たしていたわけです。

当時、関東軍の参謀であり天才軍師「石原莞爾陸軍中将」に対し孫文から相談を受けたそうです。内容は「退位協定」を結ぶ代わりに袁世凱に対し大統領の座を渡す、という事でしたが石原莞爾中将は即座に反対しましたが、結局渡してしまい、その後の大陸における長い内乱状態の入り口となってしまったのです。このとき石原中将は「漢民族に近代国家は作るのは不可能だ」と漏らしたそうです。

混沌としている大陸では孫文の部下だった蒋介石が数々の軍閥との戦闘のなかで中華民国の建て直しを図っていきます。 

その後、中華民国の軍隊のよるテロ攻撃により満州鉄道が爆破される事件を発端に満州事変を経て清国は名こそ変わりましたが実質清国の復権、満州国が設立されて行くのです。

この頃アメリカが取っていた政策は1906年、日露戦争後にアメリカの議会で「オレンジ計画」なる「日本を叩き潰す法案がだされておりました。 その背景には1905年にアメリカの鉄道王エドワード・ハリスマンなる人物が日本が多大な犠牲を払って獲得した満州鉄道の利権を半分よこせ、なるものでした。歴史にもしもはありませんが、この時にアメリカと満州における権益を2分し日米共同路線を歩んでいたら、今もなお満州国は存在し、日米直接対決は無かったかもしれません。

余談ですがこの「オレンジ計画」は日本人消滅計画にのっとり広島、長崎の原爆投下、主要都市へ無差別攻撃が行なわれ1945年8月15日をもってオレンジ計画は終了したのです


こうした背景の中でアメリカは混沌とした中国の中で自国の権益を確保しようと、あからさまに蒋介石に対し煽りを入れ排日運動を活発化させ、同時に莫大な軍事援助をしていく訳です。

この時の背景を文書で綴ると莫大な時間と資料が必要になってしまいますから、かなり省略してしまいました。
この手の歴史書を見ると文字の多さや流れが複雑で見ただけで嫌になってくると思います。なるべく簡単に理解してもらおうと努力しるつもりですが、私の文書力が低いため、読みづらいかと思いますがご勘弁のほどを・・
一人でも多くの人に正しい歴史認識をして貰えるように、乱文ですが読んで頂ければ苦労が報われます。



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コメント
No title
初めまして、よろしくね!!!
日本って…
本当に知れば知るほど、お人好しの国というか…。
腹黒い世界の戦略に絡め取られていったという感じですよね。














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