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戦後65年目、とうとう日本は赤化してしまうのか? いや、断じて赤化させてはいけない。戦前日本は赤に対しての防波堤であったがアメリカの帝国主義の前にその防波堤は崩された。
 
 
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祖先の功績を称えるべき、そして祖先が我々に託した日本を共産主義から守らなければいけない。

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敬虔なクリスチャンの憂鬱 

前々回の記事で大変考えさせられる、コメント頂いたので記事にしてみました。

元記事 大和撫子の憂鬱さんの記事に対するコメント
inori.jpg
 
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tachiagare_pr_160.jpg


カルトは絶対駄目と思ったらクリックお願いします。



これから転載です。

としぼーんさん こんばんは。
べべこさんのところでお名前拝見して以来、こちらにもお邪魔しております。なでしこ☆さんの転載記事、大変興味深く読ませていただきました。

あの・・私はキリストを信仰しているのですが、聖書を読んでいけば、実は、もともとの日本の在り方って、とっても聖書的(って、この表現も・・・変ですかね^^;)だと思うんです。別の言い方をすれば、日本が美徳とするところと聖書のそれと類似している点が多々ある、と。べべこさんのところでもチラリとコメントさせていただいたことがあるのですが、そもそも、キリスト信仰って、聖書にも書いてありますが、「宗教=教え」ではなくて「道=生き方」だと思うのです。そしてそれは日本における「道(どう)のつく生き方」にとても似ていると思うのです。

私は以前アメリカ人牧師の牧会する教会に行っていました。もちろん、学び、得るところもたくさんあったということはフェアに記しておきたいのですが、矛盾もたくさん感じました。特に「日本人としての私」というところにおいてジレンマが^^;。今思うと、米牧師の「教え」は「アメリカ(欧米)>日本」というアイディアのもとに展開していたからかもしれません。なでしこ☆さんがおっしゃるように「管理しなければならない」という考えでキリスト信仰を伝えようとした、それゆえ矛盾とゆがみを生み出したのでは?と。本当は、本来のキリスト信仰って、そうじゃないって私は思うんですけどねぇ・・。そもそも、日本人のほうが、「信仰(信心っていうのでしょうか)」とか「神(的存在)」に対する感じ方って深ぁい・・ですよね。私の母なんかは、ちょっとしたクリスチャンアレルギーがありまして・・「それでもクリスチャンかね!」とよく怒っています(苦笑)。日本人の理想とする「徳」が如何に高いかってことだと思うんです。聖書に書かれてある「美徳」をある意味、日本人は、すでに「規準」として持っている。

うまく・・・言葉をまとめられないのですが・・、私はキリストを信仰していますが、日本の国体(天皇を中心とした日本の在り方)に異議はない、どころか、その在り方は正しいと思っています。言わせていただけるならば・・・私はキリストを信仰しているからこそ、最近ますますそう思っています。日本人であることとキリストを信仰することに矛盾はありません。それって、変だよ、と言われてしまうでしょうか・・?^^;でも、私の中では今はすんなりと受け入れているコトなのです。だけど、多くの日本人のクリスチャンの方々は「矛盾」を抱いているだろうこと、そして、それゆえか、「日本人であること」を捨てようとされているのだろうか・・?と思うことすらあるわけですが・・。クリスチャンって、なぜか左巻き・・・の方が多いのも私にとっては、フシギなんですけどね・・・。なぜなんでしょ。これも「ねじれた教え」によるものかもしれません。

話は、少し変わりますが、恥ずかしながら、学生の頃、私も外国人(主に白人の方たち)を構内で見かければ、とりあえず英語で挨拶してしまう・・・というようなことがありました(恥)。そのとき、とある方(ロシア人の講師でした)に「なぜ、英語であいさつするの?ここは日本でしょ。日本語でいってください」と言われたのです。はっ、とさせられました。気づかないうちに、目に見えない「呪縛」にかかってしまっていたんですね。しかし、私も今はその呪縛を解かれ、自由な気持ちでいます。「真理は あなた方を自由にする」コレって、ホントです(笑)。

+++
長文な上に、なんだかわけわかんなくなってしまいました~><; ご、ごめんなさい。
夜に文章書くと・・・汗。

転載終り


ここからは高名な牧師さん久保有政さんの転載です。

武士道とのつながり

 イエス様は、表面的な宗教的行為ではなくて、それ以上に正義とあわれみと誠実が大切だと、言われました。旧約聖書の精神はそこにある。それがなければ偽善だと。
 考えてみると、この「正義」と「あわれみ」と「誠実」は、古来、日本に伝わる武士道の根本精神と同じであることわかります。クリスチャンの新渡戸稲造先生が書いた名著『武士道』には、武士道の根本精神として幾つかのものがあげられていますが、中でも「義」「惻隠(そくいん)の心」「誠」はその中心といえるものです。
 
「義」は、正しい行ないです。正義を行ない、悪事をこらしめる。人の道に反することをせず、筋の通ったことをする。道理にかなうことです。一方「惻隠の心」とは、あわれみ、思いやり、武士の情けです。弱い者や、負けた者、苦しんでいる者などを痛めつけない。同じはかない命を持つ者として、はかない命に対して同情を寄せる心をいいます。
 
そして「誠」は、誠実なこと、やましさのない、うそのないこと。二心でない、清き明き心をいいます。また卑怯なことをしない。卑劣な行動をとらないことです。武士たち、また多くの日本人は昔から、「至誠天に通ず と信じました。不思議にも旧約聖書の根本精神は、この日本に伝えられていたのです。
 
これは古代の日本にイスラエル人や、古代東方キリスト教徒がやって来ていたからだと私は考えていますが、詳しいことはここでは述べません。いずれにしても、旧約聖書の根本精神が、この日本に昔から存在していた。
 最近、武士道の大切さが見直されるようになってきています。武士道に帰依する人々が増えている。いま、日本で武士道に関する本がとてもよく売れるようになっています。新渡戸先生の『武士道』も、一〇〇年も前の本なのに、現代訳がよく売れている。


「武士道」を著した新渡戸稲造

 いいことだと思います。神様はこの日本に、武士道というとても素晴らしい宝を与えて下さった。私たちは、それをもう一度よみがえらせていく必要があります。
 武士道というのは、「旧約的な」神の賜物なのです。それに「新約」、つまりイエス・キリストの福音が合体すると、世界最強のものとなります。内村鑑三先生は、「武士道の台木にキリスト教を接いだもの――それは世界で最善の産物だ。それには日本国だけでなく、全世界を救う力がある」 といいました。

内村先生がなぜこう言ったのか。内村先生は、欧米を見てきたことのある人です。キリスト教国へ行って、いいところも悪いところも見てきた。内村先生は、キリスト教国にはいいところも多いけれども、なぜこれほどに偽善が多いのだろうと思いました。

 欧米のキリスト教徒の多くは、新約聖書はある程度は読みますが、旧約聖書はほとんど、あるいはあまり読みません。そして、「信ずれば救われる」ということだけを強調し、旧約聖書の根本精神である「正義」「あわれみ」「誠実」などには、ほとんど関心を示さないのです。偽善は、そこから生まれます

転載終り


この牧師さん話の中では、古代ユダヤ人の人々がその精神を日本に伝えたとありますが、そんな事ははっきり言ってどうでも良く、これを完全に否定したとするならば、それこそ「ナショナリズム」と言う事になります。大事な事は古代日本から間違いなく旧約聖書と似た精神が脈々と日本で育まれ、武士道精神に影響されてきたと言う事実だと思うのです。神道は宗教ではありません。したがって布教もなければ、お布施もありません。遥か古代からこの列島に住む人々のなかで作られてきた、日本人の物に対する考え方です。

従って、以前の記事にも書きましたが、日本人の生活習慣から成り立った独特の価値観で、習得する技や芸術に対し技術ではなく、そのもの対する精神を深めるべく「道」とし、その習得に励みます。その「道」の集大成が「武士道」であり、元となる考え方が「神道」ではないかと思います。 すなわち「神道」は、古来から日本人の生活その物の延長線上にあり、完全に生活と密着していると考えて良いのではないかとも思います。

全ての宗教は必ず基本となる教えがありますが、その宗教が肥大する過程でどうしても根幹が失われ、本質が見失われがちです。現在でも過去に於いても幸運な事に宗教的対立で戦争は起きた事はありませんし、現在も日本は無宗教と言われる位、日本を席巻する宗教はありません。というよりも必要が無いのかもしれません、なぜなら遥か
昔から、人が生きて行く上で重要な大事な教えが自然と備わっているからと思います。 


何を信じるかはそれぞれの勝手ですし、それこそ個人の自由だと思います。ただ、現在日本に限らず世界でもカルトと呼ばれる新興宗教がありますが、それらの宗教の本質を見極める事が大事な事なのです。

コメント下さった方はこんな感じの事を言いたかったのではと勝手に思い込んで、記事にしてしまいました。
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コメント
おはようございます
うん、、、難しいけど私が思うに一番原始的でありながら最新の考え。人間の根幹の考えがこれ(神道・旧約聖書)なんじゃないかなあ?
基本というか。
それが神道の考えかな。
上手くいえないのが歯がゆいですが。
最近のカルトなんざ、そこに行けば自己満足かも?
┐(´ー`)┌
私が頭悪いんでしょうけど…
皆さんが、いったい何が言いたいのか…
さっぱりわかんな~い。┐(´ー`)┌

まる子さんの意見は、その通りと納得できました。
キリスト教の教えとは距離を置いたところで、
(その宗教の教えとは全く関係なく)
一神教の国々は、信仰している人間たちが
「自分と違う考えの存在を認めない」という
民族だということでしょう?
そういう民族を相手にしていることを
日本人は理解していないといけない。

なんでみんな、キリスト教の教え(精神)=神道の教え(精神)
にしなくちゃいけないのか理解できない…
そんなことする必要あるの?
なんだかみんな考えすぎて、自分たちで難しくしてるんじゃないのかなあ?

以上、私の意見は終わりです。
今そこにある日本の問題に取り組むのが先なので(時間がない!)
大変失礼致しました。m(_ _)m
キリスト教は唯一の神以外信じてはいけない事になっています。
旧約聖書は読むと他の宗教を殺しまくって居ますし、仲間でも殺しあっています。
左のほほを打たれたら右のほほを出しなさい、と教えるキリスト教のアメリカが原爆を日本に落としたのです。あの教えは同じキリスト教徒にだけ通じるものだと思います。
他の宗教に寛容なキリスト教はキリスト教と言えるのでしょうか?
もっとも、創世記の神話は世界各地にあると言いますし、三位一体の教えはエジプトの考えだそうです。アベマリア信仰もクリスマスも本来のキリスト教にはありません。実際宗教は時代に合わせていろんなものを取り入れて変わっていくものなんですね。
旧約聖書ユダヤ教では対応しきれなくなり、キリスト教やイスラム教が生み出されたのだと聞いていますし、多くの思想を取り入れて他の宗教に負けない理論武装が神学でしょう。
日本的なキリスト教が生み出されたのだと理解しますが、ほかの国でもう少し厳格なキリスト教徒から認められるかは疑問です。
宗教は生きるための文化です。似た所は当然出てくると思います。














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